F画像処理とは何なのか?

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 今年1月、フォトショップVer.6で画像処理していた頃とCS3導入後を比較しました。両者の大きな違いは調整レイヤーが16bitか否かという点です。リバーサルをスキャナーで読み込んで画像処理していた頃の自分には、左の方が良い写真に見えていたのではないかと思います。今でも良い写真だと思うのですが、現在の画像処理は右のようになります。もう少し中心部を明るくしても良いような気もしますが、そうすると青い色が飛んでしまいます。

2枚の比較で一番注目すべきは、背景と恒星像です。光学系はBorg125SD+F4DGで共通です。左はEOSKissDX改、右はStarShootProで、同じLPS-V3フィルターを使用していますが、これほど違いがあります(左は若干トリミングしてありますが、右はノートリミングです)。
写真時代
真っ黒な背景にくっきり浮き出る星雲
これで良かったような気がします・・・
デジタル時代
ニュートラルグレーの背景に淡く広がる星雲
極限まで絞った恒星像、これはこれで綺麗ですが
 この1年

Borg沼の住人である私がBorgのフラッグシップ「125SD」のモニターを引き受けて1年になります。一番悩んだのが、この光学系の適正な評価に役立つ作例の作製です。それまで私は左の様な画像処理で十分満足していました。フォトショップもアカデミーパックで購入したVer.6で一生やっていけると信じていましたし、雑誌のフォトコンは鑑賞する物で自分で投稿することは絶対無いだろうと思っていました。

ところが、最初に撮影した左の写真はデジタル時代のハイテク画像処理作品と比較することが出来なかったのです。「同じレベルで画像処理をしなければ、この望遠鏡の性能をアピールすることは出来ない」と感じて、16bit調整レイヤー処理が可能なフォトショップCS3と最新のステライメージVre.6を購入し画像処理の勉強を始めました。努力の甲斐あって最近では右の様な作品も作れるようになりました(ちょっと不自然な所がありますが・・・)。

 この画像を見ればたいていの人はBorg125SDがペンタック○やタカハ○の光学系に劣らないことが分かるのではないかと思います。値段的にも全く劣っていないので、当たり前といえば当たり前です。ここでふと感じたのですが、

画像処理って何でしょう??

小林秀雄は「常識について」に収録されている「写真」というエッセイで

「写真芸術の表現過程は、カメラの全く非人間的なメカニズムに基づく。しかし、この言葉は曖昧である。表現力を持っているのは、カメラを扱う人間であって、カメラではない。カメラは人間的にも非人間的にもおよそ表現力なぞ持ってはいない。」
と書いています。

 今回の庭先撮影は、対象が屋根を越える時間と、赤道儀の限界を考慮してタイムスケジュールを考え、順序よく5対象を撮影しました。撮影中はトラブルもなく淡々と露出を繰り返し、時間が来ると次の対象を自動導入し、構図を決めて露出を開始し、待っている間に、スカイメモを担いで、近所の田んぼに行ってオリオン座の星野を1カット40分撮影してました。トラブルさえなければ撮影は単に画像処理をする材料を作っているだけのような作業になっています。確かに星雲撮影の魅力は「目に見えないものが写る」ことです。これに魅了されて、散光星雲の撮影を続けている訳ですから、撮影中はやることがないのです。遠征ならば、寝転がって観望したりしてますが、庭先撮影では食事をしたり風呂に入ったり・・・。
 そして画像処理になると、「V3は光害があると処理が難しいなー」とか「結構、良い空だったな」とか「何でこれだけガイドが流れてるの?」とか、ぶつぶつ言いながら時間の経つのも忘れてパソコンに向かっています。私の作品は芸術ではないですが、画像処理が表現なんでしょうかね。最近はトリミングしないので撮影時の「構図」も大切な表現だと思うのですが、どうもいい加減です。

同じエッセイの中で、持って行ったカメラを無くした際、

「首根っこからぶら下がった小さな機械が紛失したおかげで、私の視力は、一度失った気持ちよい自由感を取り戻したという感じは、たいへん強いものであった。」

とも書いています。

撮影なんかしなければ、星空を堪能できるのかも知れません。

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